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人生朝露

人生朝露

孔子と荘子と司馬遷と。

ま、荘子なんですが、今日はまずは、
孔子。
孔子(紀元前551‐紀元前479)から。孔子という人は、もういわずもがなというか、2500年経とうとも、東アジアの思想に絶大な影響力を持つ巨人(実際に190近くの身長があった人)なわけですが、荘子を読む時に、当然、孔子の存在を意識せねばならないわけです。

「世衰え、道微して、邪説暴行作(おこ)る有り。臣にして其の君を弑する者これ有り、子にして其の親を弑する者これ有り。孔子懼(おそれ)て、春秋を作る。春秋は天子の事なり。是の故に孔子曰く『我を知る者惟だそれ春秋かな、我を罪する者惟だそれ春秋かな。』」(「孟子」滕文公章句下より)。
→世の中が衰えていき、道徳は廃れていき、邪説ははびこり、犯罪が横行するようになった。家臣の身で君主を殺す者や、子の身で親を殺す者が現れるようになった。このとき、孔子は世の混乱を恐れて『春秋』を作った。本来は、春秋のような歴史書は、天子が編纂する仕事である。そのため孔子はこうおっしゃった。『後の世に私の考えが理解されるとしたら、それはただこの『春秋』によってであろう。また、後の世に私が非難されるとすれば、これもまた『春秋』のためであろう。

世が乱れに乱れきった時代に、孔子は、事実を事実として残す必要性を感じて、春秋を編纂したわけです。善行を善行として、悪行を悪行として歴史を書き連ねていくことこそが、世の中の安定のために必要であろうという考えですね。これは、去年書きました。

参照:当ブログ 親殺しの何が大罪か?
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200810270000/

そして、ある一定の価値観が知識人の間の価値観として共有されるようになったわけです。孔子の場合は「仁(思いやりの心)」と「礼(節度と礼儀)」を強く主張しますが、その後の弟子たちによって、「義(利得にとらわれない正義感)」「智(善悪の判断)」「忠(主君に真心を尽くすこと)」、「孝(親孝行をする心)」等々の価値観が、儒家によって称揚されていくわけです。

Zhuangzi
『荘子』という書物は、後半部分の「外篇」「雑篇」のかなりの部分は弟子たちの手によるものだろうとされています。荘子学派のうちの一部は、荘子の考えを機軸に政治権力に接近したり、また一部はそれと対立したりしていまして、この辺の多様な変化を読んでおかないと理解しにくいんですよ。彼らは、儒家や墨家のような価値観の押し付けを嫌います。中盤以降に目立つようになる孔子批判は、おそらくほとんどが弟子たちの手によるものでしょう。

Zhuangzi
「生而美者、人與之鑑、不告則不知其美於人也。若知之、若不知之、若聞之、若不聞之、其可喜也終無已、人之好之亦無已、性也。聖人之愛人也、人與之名、不告則不知其愛人也。若知之、若不知之、若聞之、若不聞之、其愛人也終無已、人之安之亦無已、性也。」(『荘子』則陽 第二十五)
→生まれながらの美人も、鏡を他人から与えられなければ、自分の美しさを確かめることもできず、他人に言われなかったとしたら、自分が他の者よりもすぐれた美しさをもつ「美人」であることに気づかない。しかし、自分が美人であることを知っていても、知らなくても、美人だと言われても、言われなくても、自分の美しさを喜ぶのは人の性(さが)であり、他人がその美しさを尊ぶのも性である。聖人は人を愛するがゆえに聖人と呼ばれるが、他人にそう言われなければ、自分が人を愛する「聖人」だとは分からないのだ。しかし、自分が聖人であることを知っていても、知らなくても、聖人であると言われても、言われなくとも、聖人が人を愛し続けるのは聖人の性であり、人々がそれに安んずるのも、人の性なのである。

・・・これとかは、非常に綺麗な表現です。愛というのは人に教わるものではないという考えですね。

しかし、「荘子」の孔子批判の中ですごいのが、盗跖篇。大泥棒、盗跖(とうせき)が孔子に説教をたれるというとんでもない寓話で、これが、面白いんですよ。鬼畜野郎が孔子に怒りをぶつけるんです。

盜跖大怒曰『丘来前!夫可規以利而可諫以言者、皆愚陋恆民之謂耳、今長大美好、人見而悦之者、此吾父母之遺徳也。丘雖不吾譽、吾獨不自知邪?且吾聞之好面譽人者、亦好背而毀之、今丘告我以大城衆民、是欲規我以利而恆民畜我也、安可久長也?城之大者、莫大乎天下矣。堯、舜有天下、子孫無置錐之地、湯武立為天子而後世絶滅、非以其利大故邪?且吾聞之古者禽獣多而人少、於是民皆巣居以避之、晝拾橡栗、暮栖木上、故命之曰有知生之民。古者民不知衣服、夏多積薪、冬則煬之、故命之曰知生之民。神農之世、臥則居居、起則于于、民知其母、不知其父、與麋鹿共居、耕而食、織而衣、無有相害之心、此至徳之隆也。然而黄帝不能致徳、與蚩尤戦於鹿之野、流血百里。堯、舜作、立群臣、湯放其主、武王殺紂。自是之後、以強陵弱、以衆暴寡。湯、武以来、皆乱人之徒也。今子修文、武之道、掌天下之弁、以教後世、縫衣浅帯、矯言偽行、以迷惑天下之主、而欲求富貴焉、盗莫大於子。天下何故不謂子為盗丘而乃謂我為盜跖?』(『荘子』盗跖 第二十九)
→盜跖は大いに怒って『丘よ、前に出ろ!利に駆られて行動したり、人に言われたくらいで行いを改めるようなことは、その辺の凡人がやることだ。俺の体格が立派で、人望があるのは、他人に教わったものではない。俺のオヤジやオフクロのおかげさ。お前におだてられる前から、自分で知っておるわ!(中略)聞いたところによると、その昔、人よりも獣の方が多くて、人間様は、トチの実や栗の実を拾って食い、夜には木の上で眠っていたそうじゃねえか。「有巣氏の民」とかいうそうだ。その昔、人間様は衣服すら知らず、夏のうちから薪をかき集めて、冬の寒さに備えていたそうだ。これを「知生の民」というそうだ。古の神農の時代には、人間様はぐっすりと眠り、起きているときも、のんびりとやっていけたらしいじゃねえか。自分の母親を知っていても父親は知らず、牛や鹿と共に暮らし、自分で耕した分で食い、自分で衣を織り上げ、人を害するようなことも大してなかったそうじゃねえか。こういうのが徳の至りだろうよ。ところが、黄帝から下っては、徳を推し進めるのが難しくなって、蚩尤と大きな戦を起こし、その血は百里先にも及んだそうだ。堯や舜の時代には、群臣を従え、湯王はその主を追放し、武王は紂王を殺した。そこから先は、おめえ、強い奴が弱い奴を支配し、多い奴らが少ない奴らをいじめてるだけじゃねえか。偉くて賢い王さまとやらが、人の世を乱しているんじゃねえのか?」
「お前はそのお偉い王道とやらを学び、天下の弁を牛耳って、後世に教えを説いている。ぶかぶかの着物で締りのない帯でカッコつけ、いいかげんな言葉で、さかしらな善を振りまいては天下の君主を惑わせ、それで、結局のところ、てめえ自身が儲けたいだけじゃねえのか?国を盗む最悪の盗賊というのは、お前だ。天下の人々はお前を盗丘といわずに、俺のことを盗跖などと言う。おかしな話だ!」

ダーウィン。
「トチの実や栗の実を拾って食い、夜には木の上で眠っていた。」とか「人間様は衣服すら知らなかった。」とかは、サルなのか人間なのか(笑)・・・おそらく、周辺の少数民族の生活からそう感じたのではないかと思うのですが・・面白い話です。

アリストテレスの言う「社会的動物」の以前の立場から、大泥棒が孔子を批判するわけです。これは、孔子の思想が支配的な位置に就くであろう、という前提があって、文字の国における「文明」すなわち、「文によって明らかになる」始まりに自分たちがいるという意識を感じます。

参照:Wikipedia 社会的動物
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%8B%95%E7%89%A9

次は、
司馬遷。
司馬遷(紀元前145~紀元前86)です。

不朽の名著『史記』の伯夷列伝に、孔子の考えと、荘子の考えの相克が見えるんですよ。司馬遷は、孔子が賞賛した伯夷、叔斉の兄弟の悲話を列伝の最初に持ってきています。孔子が注目しなければおそらく歴史から消えていたであろうこの偉人を讃えつつも、司馬遷はこう記すんです。

『或曰「天道無親常與善人」。若伯夷、叔斉、可謂善人者非邪?積仁清行如此而餓死。且七十子之徒、仲尼獨薦顔淵為好学。然回也空、糟糠不厭、而卒蚤夭。天之報施善人、其何如哉?盜蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戻恣唯、聚当數千人横行天下、竟以壽終。是遵何徳哉?此其尤大彰明較著者也。若至近世、操行不軌、專犯忌諱、而終身逸樂、富厚累世不絶。或擇地而蹈之、時然後出言、行不由徑、非公正不発憤、而遇禍災者、不可勝數也。余甚惑焉、儻所謂天道、是邪非邪?』(『史記』伯夷列伝)
→「天はえこひいきなどせず、常に善人の味方だ」(老子第七十九章)という。ならば、伯夷・叔斉兄弟は善人ではないのだろうか。彼等は、清廉で正しい行いを積みながらその意志を貫いて餓死してしまった。孔子の七十人の弟子のうち、注目した顔回も、最も貧困で、糟や米糠さえもろくに食べられずに早死にしている。天道とは善人に味方しているのであろうか?盜蹠などという大盗賊は、無辜の民衆を殺し、非道の限りを尽くし、人の肝さえ平気で食っている。数千人の手下を従え、天下に横行した大盗賊は、ぬくぬくと天寿を全うしているのだ。彼に何の徳があって天寿を全うしたのか?歴史が下るにしたがって、人々の行いは無軌道になっていき、どんなに残酷なことでもためらい無くやってのける悪人が出てきたが、死ぬまで勝手気ままな悪人が、天寿を全うし、他人からむしりとった財産でその子孫までも楽な生き方をしてしまう。翻って、地に足を着け、しっかりと考えて行動し、逃げも隠れもせず王道を突き進んだ人々が、不幸になってしまうことのどれほど多いことか!歴史を綴りながら、私は甚だ惑うのだ。「天道といわれるものは、本当に善人の味方をしているのか?天は善人の味方ではないのか?」

・・今でも、憎まれっ子世にはばかるといいますが。

多分、ここは司馬遷が荘子を読んで書き上げた部分だと思います。伯夷・叔斉や顔回批判も盗跖篇に記されています。

参照:Wikipedia 伯夷・叔斉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%AF%E5%A4%B7%E3%83%BB%E5%8F%94%E6%96%89

親鸞聖人。
『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。』(「歎異抄」より)

親鸞聖人の悪人正機説も似たような話から始まります。

参照;
Wikipedia 悪人正機


果たして、天道は、是か非か?

今日はこの辺で。


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